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竜馬がゆく (文春文庫) 司馬遼太郎

Book Summary
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理解度チェック

本サイトで紹介する本に関する理解度チェック問題になります。


問題を解きながら、本の概要を理解できるように、
問題以上に解説に力を入れておりますので、是非活用ください。

レビュー

この『竜馬がゆく』という作品はすさまじい反響を呼び、「坂本龍馬」という人物の評価さえも左右することになります。「少しとぼけたところがありながらも快活で物事の本質を見極め、大局観を有した土佐弁の剣士」という龍馬像は、この作品によって社会に定着したという説もあるほどです。こうして龍馬は一躍日本を代表する偉人と考えられるようになったわけですが、残念ながら歴史的な評価が近年、龍馬の「過剰」な功績を見直す方向で変わりつつあります。実際、「坂本龍馬」の名を教科書から削除しようという意見が学会から提言されたほどです。

それほど日本中に大きな影響を与えている本書を読んだ私の率直な感想としては、「竜馬のようなスケールの大きな男になりたい」の一言につきます。坂本竜馬の性格を言葉に表してみると、多くの人が「無邪気」、「大胆」、「型破り」といった印象を持つ人も多いかもしれませんが、私が竜馬のようになりたいと思ったポイント・魅力は、その一見して子供のような無邪気さを表面に纏いつつ内在する、彼の鋭い洞察力や、現実主義を持ち合わせるところです。また、「クラーク博士の少年よ大志を抱け」という言葉ばぴったりマッチする人物こそ竜馬です。僕たち人間は得てして、自身のプライドや面子で物事の選択を間違える事があります。竜馬のように大きな志をもつことができれば、己のプライドや面子などというのは、小さく見えてくるのだと思います。

悩みを抱えている人や自分の道を見失いかけている人などに是非一読して頂きたいお薦めの一冊です。

本書の要点

●巻ごとのサマリ

1巻

第一巻で描かれているのは、坂本龍馬が十九歳から二十三歳までの頃です。土佐から初めて江戸へ剣術修行に行く場面から始まります。
龍馬の生まれた土佐は、侍の身分制度が複雑で、土佐には大きく分けて郷士と上士がいる。郷士はもともと土佐をおさめていた長曽我部の家臣で、上士は山内一豊の家臣になります。関ヶ原の戦いで長曽我部が西軍に属したため、長曽我部の家臣は、掛川からやってきた山内家の家臣より一段下に置かれることになる。この上士と郷士の間に白札という準上士身分があります。この身分制度の複雑さが幕末における土佐郷士たちの悲劇の原因となり、土佐藩の役割というものが長州や薩摩と異なったものとなる要因となったのでしょう。

さて、坂本家の家祖は明智左馬助光春とされる。明智滅亡後、庶子の太郎五郎が土佐に逃れ、長岡郡才谷村に住んで長曽我部の屯田兵とでもいうべき一領具足で、その後、四代目が高知本町筋三丁目に移って酒造業を創業し、五代・六代と栄え、七代目に稼業を弟に譲って郷士の格を買って武士に戻ったのです。領地は百九十七石。

2巻

第二巻では坂本龍馬二十四歳から脱藩するまでの二十九歳までを描いています。2巻では黒船の出現以来、猛然と湧き上がってきた勤王・攘夷の勢力と、巻き返しを図る幕府との抗争は次第に激化してきた。先進の薩摩、長州に遅れまいと、土佐藩でクーデターを起し、藩ぐるみ勤王化して天下へ押し出そうとする武市半平太のやり方に限界を感じた竜馬は土佐藩を脱藩することになります。土佐という狭い所には合わない男が、そして当時の常識を遙かに超えた所で生きた男が、いよいよ世に出るのです。

3巻

第三巻は坂本龍馬は二十九歳。勝海舟に出会うことによって、幕末史劇の舞台を一段上がる。幕末の史劇は清河八郎が幕を開け、坂本龍馬が閉じたといわれています。その坂本龍馬と清河八郎が邂逅する場面が描かれ、いわば幕末史劇の転換が始まろうとしている象徴的な場面です。

土佐を脱藩して浪人となった竜馬は、幕府の要職にある勝海舟と運命的な出会いをします。勝との触れ合いによって、竜馬はどの勤王の志士ともちがう独自の道を歩き始め、生麦事件など攘夷論の高まる中で、竜馬は逆に日本は開国して、海外と交易しなければならないとひそかに考えるようになります。そのために「幕府を倒さねばならないのだ」とも

4巻

第四巻は、坂本龍馬は二十九歳から三十歳。フランス艦隊にメタメタに敗北した長州がそれまでの意識の変革を迫られる一方で、薩摩藩と会津藩によって京の政界から追われ、この影響が各藩に及び、土佐では山内容堂による勤王党の弾圧が始まります。

そんな中、「志士たちで船隊を操り、大いに交易をやり、時いたらば倒幕のための海軍にする――。」竜馬の志士活動の発想は奇異であり、”ホラ吹き”といわれた。そして世の中は、そんな竜馬の迂遠さを嘲笑うかのように騒然とする。長州の没落、薩摩の保守化、土佐の勤王政権の瓦解。激動の時代に、竜馬はついに一隻の軍艦を手に入れた

5巻

第五巻は坂本龍馬が三十歳。元治元年は、全てが長州を中心にまわった。この時期の長州藩の異常加熱は、浪人志士団の暴発をよび、池田屋ノ変を誘発し、さらに池田屋ノ変はそれに憤激した長州藩の大挙上洛となり、幕府の第一次、第二次長州征伐、竜馬の海援隊の活躍というように関連してゆくのです。

池田屋ノ変、蛤御門ノ変と血なまぐさい事件が続き、時勢は急速に緊迫する。しかし、いまだ幕府の屋台骨はゆるんだように見えない。「時期が早すぎるのだ……」。次々に死んでいく同志を想い、竜馬は暗涙にむせんだ。竜馬自身にも危機が訪れる。心血を注いだ神戸海軍塾が幕府の手で解散させられてしまったのです。

6巻

坂本龍馬は、三十一歳から三十二歳。
薩摩と長州が力を合わせれば、幕府を倒すことは可能であろう。しかし互いに憎悪しあっている両藩が手を結ぶとは誰も考えなかった。そして竜馬が動いた。その決死の奔走により、慶応二年一月、幕府の厳重な監視下にある京で、密かに薩長の軍事同盟が成立するのです。

この巻で司馬遼太郎氏が坂本龍馬という若者を書こうと思い立った理由を書いています。それは、なぜ坂本龍馬が薩長連合を成し得たかということで、薩長連合は龍馬の独創的な発想ではなく、薩長以外の志士の間では常識となっていた。それが、龍馬が西郷に「長州が可哀そうではないか」といったひとことで薩長連合が成立した。奇妙といっていい。この一介の土佐浪人からでたこの一言の不思議を書こうとして書き始めたのが「竜馬がゆく」である。

7巻

坂本龍馬は三十二歳から三十三歳。
同盟した薩摩と長州は着々と討幕の態勢を整えてゆく。そして竜馬は、この薩長に土佐藩などを加えた軍事力を背景に、思い切った奇手を思いついた。大政奉還――。幕府のもつ政権をおだやかに朝廷に返させようというものである。内乱を避け、外国に侵食する暇を与えず、一挙に新政府を樹立する、無血革命方式である。

8巻

坂本龍馬。享年三十三歳。
慶応三年十月十三日、京は二条城の大広間で、十五代将軍徳川慶喜は大政を奉還すると表明した。ここに幕府の三百年近い政権は幕を閉じた。時勢はこの後、坂を転げるように維新にたどり着く。しかし竜馬はそれを見とどけることもなかった。坂本龍馬と中岡慎太郎が死ぬのは慶応三年十一月十五日である。
司馬遼太郎氏は『天に意思がある。としか、この若者の場合、おもえない。天が、この国の歴史の混乱を収拾するためにこの若者を地上にくだし、その使命がおわったとき惜しげもなく天へ召しかえした。』と竜馬を称している。

 

著者・出版

著者: 司馬遼太郎


1923年大阪市生まれ。大阪外国語学校蒙古語部卒。「ペルシャの幻術師」で講談倶楽部賞、『梟の城』で直木賞を受賞。『竜馬がゆく』『国盗り物語』『坂 の上の雲』『空海の風景』『翔ぶが如く』など構想の雄大さ、自在で明晰な視座による作品を多数発表。この他『街道をゆく』『風塵抄』『この国のかたち』な どの紀行、エッセイも多数。’96年逝

歴史小説家としてはW・スコット以来の人物中心主義の流れを汲んでおり、筆名からも直接には司馬遷『史記』列伝の形式を範にした作家でもある。
特徴としては、基本的に登場人物や主人公に対して好意的であり、作者が好意を持つ人物を中心に描く。それによって作者が主人公に対して持つ共感を読者と主人公の関係にまで延長し、ストーリーの中に読者を巻きこんでゆく手法をとることが多い。また歴史の大局的な叙述とともにゴシップを多用して登場人物を素描し、やや突き放した客観的な描写によって乾いたユーモアや余裕のある人間肯定の態度を見せる手法は、それまでの日本の歴史小説の伝統から見れば異質なものであり、その作品が与えた影響は大きい。

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