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13歳からのアート思考(ダイヤモンド社)末永 幸歩

Book Summary
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理解度チェック

本サイトで紹介する本に関する理解度チェック問題になります。


問題を解きながら、本の概要を理解できるように、
問題以上に解説に力を入れておりますので、是非活用ください。

レビュー

本書は、アートの見方がわからない方、役に立たないと思う方、アートビジネスが話題だから、アート思考に興味がある方や正解ばかり求めてしまうなどの悩みを持つ方におすすめの書籍です。 小学校の「図工」の授業は好きだったのに、中学校で「美術」の授業になると、途端に嫌いになる人って多いですよね。それは美術の授業が、絵を描いたり、ものを作ったりする「技術」や、芸術作品についての「知識」に重点を置くものが多いからだと、著者は考えており、その嫌いになる分岐点が、タイトルにもある「13歳」です。 ピカソはこんな言葉を残しています。「すべての子どもはアーティストである。問題なのは、どうすれば大人になったときにもアーティストのままでいられるかだ」。大人になるにつれて、私たちの感性は貧弱になっていきます。そして、自分だけのものの見方や考え方を持たなくなり、しかも、そのことにすら気付かなくなるのです。

アート思考とは、上手に絵を描いたり、名画の知識を語ったりできることではありません。目に見えるモノや作品を生み出すまでの思考プロセス――「自分だけのものの見方で世界を見つめ」「自分なりの答えを見いだし」「それによって『新たな問い』を立てる」知的作業のことなのです。

アートを植物に例えています。地表に咲いた「花」が作品だとすると、地中に植えた「種」が自分の興味や疑問であり、地下に伸びる「根」が思索や探究です。それらを「表現の花」「興味のタネ」「探究の根」と呼んでいます。「アート思考」とは、「興味のタネ」を膨らませ、「探究の根」を深く伸ばしていくことです。ここで大事なのは、あくまで「自分」の好奇心からスタートすることであり、他人から与えられた課題に応えて始めるものではありません。
「興味のタネ」があっても新しい価値が生まれるかどうかは分かりません。「探究の根」を伸ばした結果として、「表現の花」が咲くのです。
そのために日々の生活の中で「常識を疑うこと」や「他人と違う見方をすること」がアートの出発点だと思っています。現代はVUCAワールド(※)と呼ばれる、変化が激しく、不確実で、見通しの利かない時代です。世の中が変化するたびに「正解」を追い求めることは、もはや不可能ですし、「正解」は一つではありません。そうした事態にあっても、「常識」や「正解」にとらわれず、自分を信じ、自分の頭で考えて生きていく力が、問われているのです。自分の内側にある「興味のタネ」を育て、自分の眼で世界を見つめ、「探究の根」をしっかりと伸ばす。それができれば、人生の荒波にもまれても、流されることなく、何度でも立ち直ることができるはずです。これこそが、「アート思考」が必要とされる大きな理由です。ゆえに今、大人も子どもも最優先で身に付けるべきは「アート思考」だと思うのです。
※)VUCAワールド Volatility=変動、 Uncertainty=不確実、Complexity=複雑、 Ambiguity=曖昧、の頭文字を取った造語。変化の幅も速さも方向もバラバラで、世界の見通しが利かなくなった現代を形容する。

作品とともに本書を振り返る
Class1 アンリ・マティス「緑のすじのあるマティス夫人の肖像」

アンリ・マティスは、20世紀のアートを切り開いたアーティストと称されており、この「緑のすじのあるマティス夫人の肖像」はその代表作です。再現するというアートは1826年に登場したカメラにより崩壊した。マティスはこの作品を通して目に映る通り世界を描くという目的からアートを開放したのです。 それは、「目に映るとおりに描く」のではなく、「色」を純粋に「色」として自由に使うことでした。マティスはアートにしかできないことは何か?という探求の根を伸ばした結果、色を自由に使うという表現の花にたどり着いたのだと思います。これ以降は、表現の花から離れ、探求の根と興味の種にアーティストたちの意識が向けられるようになった。
※「見る人の見方により作品の持つ意味が変わる」というのが著者が伝えたいことの一つだろう。数学の答えは変わらないことに価値があるが、アートは変わることにこそ価値がある。
Class2 パブロ・ピカソ「 アビニヨンの娘たち


誰もが知っているパブロ・ピカソの作品です。彼はこの「アビニヨンの娘たち」によって、これまでとは違う「リアル」を探求しました。 1つの視点から人間の視覚だけを使って見た世界(遠近法)から、様々な視点から認識したものを1つの画面に再構成するという答えを編み出したのです。 ピカソは、リアルとは目というフィルターを通して表現されるものではなく、目に見えないもの多視点でとらえて、脳の中で再構成した一歩踏み込んだ表現の花を咲かせたのです。目に見えるもの、耳から聞こえるものなど五感の先にある心の声と向き合うことが本作品を通してピカソが伝えたかったことなのかもしれません。さあ、リアルさ=遠近法という常識から解放され経験や五感からのインプットを脳内で再構成しあなた独自の表現の花を咲かせてみましょう。
Class3  ワシリー・カンディンスキー コンポジションVII


じっくり見てもらって何を描いているのか考えてみるのも面白いのですが、結論から見るとカンディンスキーは「何を描いた」といえる具象物を一切描いていません。カンディンスキーはクロード・モネの「積みわら」という作品を見て、何が描かれているかわからなかったそうです。で、彼は「何が描かれているかわからない”のに”惹きつけられたのではなく、何が描かれているかわからないから”こそ”惹きつけられた」と考えたそうです。どういうことかというと「何が描かれているのかわからないからこそ、見る人は自分の考えを見つける必要がある」ということです。そこでカンディンスキーは自分が好きな「クラシック音楽」を聴いて、そのイメージを画にしました。ここで重要なことは、クラシック音楽という画にならないはずのものを画にしたということではなく、見る人自身が自分の考えで作品に意味を付けるという新しいアートの見方を作ったことです。 一つ例を挙げると、千利休と豊臣秀吉のエピソードがあります。千利休の家の庭に立派な朝顔が咲き誇っているという噂を聞いた豊臣秀吉がその朝顔を見に行ったそうなのですが、千利休は秀吉が来る直前に朝顔を摘み取ってしまったと。で、一番キレイな一輪だけの朝顔を花瓶に挿しておいたと。なかなかとんでもないことをしますが、千利休にとって「朝顔が咲き誇っている庭」をそのまま見るより、「朝顔が咲き誇っていたらしい庭と、そこに咲いていた一番美しい一輪の朝顔」を見て「空想で理想の庭を創り上げる」ほうが素晴らしいと考えたんでしょうね。
Class4  マルセル・デュシャン



マルセル・デュシャンは、ただのありふれた便器を選び、逆さにして置き、端っこにサインをし、「泉」というタイトルの作品を発表しました。当時は問題作品扱いされ、展覧会にも展示されなかった作品ですが、2004年、アート界に最も影響を与えた20世紀アート作品の第1位に選ばれています。彼はこの作品を通じて、誰も疑うことのなかった根本的な常識、「アートは視覚で愛でることができる表現に落とし込まれるべき」を打ち破ったのです。そして、アートを「思考」の領域に移しました。
マティスは「目に見えるものを正確に表現すること」という常識を壊しました。ピカソは「遠近法を使って視覚的に正しく描くこと」という常識を壊しました。カンディンスキーは「作品そのものに意味が込められていること」という常識を壊しました。 そしてディシャンが アートは美しく、作者自身が優れた技術を持って手間ひまかけて創り、見る人はそれを視覚で味わう。これが絶対的な正解とされていた常識を壊したのです
Class5  ジャクソン・ポロック 「 ナンバー17A 」


ジャクソン・ポロックは、この「ナンバー17A」を通じて、私たちの目を「物質としての絵そのもの」に向けさせようとしました。つまり、アートを「なんらかのイメージを映し出すもの」という役割から解放し、絵画は「ただの物質」でいることを許されたのです。 画は何かが描かれているはずだという認識のもと、画を見たときに「そこに何が描かれているか」を見ているのであって、その時「キャンバスと絵の具」であるという現実を見ていないということなんです。そこにあるのは、 キャンバスと絵の具という事実だけなのです
これまで出てきたマティス、ピカソ、カンディンスキー、デュシャンはすべてヨーロッパのアーティスト。それに対し、ジャクソン・ポロックはアメリカで活躍したアーティストです。とうとうアメリカがアートを変えてくるわけです。「ナンバー1A」といういかにも無個性な名前がついていますが、ポロックは似たような作品を大量に作っていて「ナンバー17A」は史上5番目に高額で落札された作品でもあります。
Class6  アンディー・ウォーホル ブリロ・ボックス



最後の作品は、アンディー・ウォーホルの「ブリロ・ボックス」とう作品です。 アンディ・ウォーホルの「ブリロ・ボックス」はブリロという洗剤のパッケージをコピーして木箱に貼り付けて、大量生産して並べただけのものです。サインもありません。この作品を海外で展示するために輸送する際、アート作品とは認められず結局展示は行われなかったそうです。アート作品と商品では関税が違うので脱税しようとしていると疑われたらしいです。それくらいアートの常識とはかけ離れた作品。アンディ・ウォーホルは一体何がしたかったのか。彼は「アート」と「アートじゃないもの」の境界線を取り払いたかったんです。
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■アウトプット鑑賞

美術館でアート鑑賞をしていると、

「これは何を描いたものなんだろう?」
「これはどう評価すればいいんだろう?」
「これはどういう意味があるんだろう?」

その答えを求めて、解説パネルやオーディオガイドを頼ると、なんとなくわかった気になって、次の絵に移動する。美術館でこのような移動をしたことがある人はたくさんいると思います。でも、これこそが「自分なりの答え」を放棄している瞬間なのです。アウトプット鑑賞では、主観から客観と、客観から主観の2つの方向を意識してみます。まず、作品を見てどんな感じがするのか、感覚的にどう思ったのかを素直に言ってみます。「うるさい感じがした」「きれいな感じがした」「やさしいイメージ」「寂しそうな感じ」など。この主観的な意見に対して、自分で質問を重ねます。「どこからそう思う?」と。青くて太い線が見えたから、寂しそうに感じた。うるさい感じがしたのは、同じような形が少なくて統一感がないから、など。次に、作品の中の事実を見つけてみましょう。「たくさんの色が使われている」「子どもの顔が描かれている」「線が太い」など。この客観的な事実に対して、自分で質問を重ねます。「そこからどう思う?」と。たくさんの色が使われているから、元気が出そうな感じ。線が太いから、豪快で強い感じがする、など。このように主観と客観を行ったり来たりすることで、自分がどう感じるのか、どういうものを見ているのか、どんな意味を感じているのか、がはっきりしてきます。もちろん、作者や批評家の説明や正解は存在しますが、それは結局のところ他人が見つけた正解でしかありません。それよりも大切にするべきは、自分なりの問いと回答を見つけることです

■アート思考とデザイン思考の違い

論理思考(ロジカルシンキング)、デザイン思考(デザインシンキング)、アート思考(アートシンキング)を比較する、という発想自体が間違いであって、家を建てるのに、金づちと鋸とカンナとではどれが大事でしょう?とか、鍋とヤカンと電子レンジのなかで、どれが一番役立ちますか? というのと同じことだと思います。

また、アート思考が0→1で、デザイン思考が1→10という表現も多くみられますが、これも正確ではないと思います。後程触れますが、デザイン思考はユーザー起点であるので、今ある商品の改善や改良が多いから1→10とみられることが多い、アート思考は自分起点であるから0→1と考えられていることかと思います。しかしアート思考に関する研究によれば、アーティストも今までの知見や作品、経験などを基に新たな発想を得ているので、「無から有が生まれるのがアート」というわけではないのです。それまでの経緯を知らない他人から見れば、0→1に見えるのにすぎない、というのが本当のところでしょう。

では、アート思考とは何か?デザイン思考とは何が違うのか?

アート思考あるいはアートシンキングに関しては、まだきちんとした「定義」が確立されていません。そのためその用語を使用している人や組織によって「定義(らしきもの)」がいろいろある状態です。

 

本書の目次

[PROLOGUE] 「あなただけのかえる」の見つけ方
[ORIENTATION] アート思考ってなんだろう――「アートという植物」
[CLASS 1] 「すばらしい作品」ってどんなもの?――アート思考の幕開け
[CLASS 2] 「リアルさ」ってなんだ?――目に映る世界の”ウソ”
[CLASS 3] アート作品の「見方」とは?――想像力をかき立てるもの
[CLASS 4] アートの「常識」ってどんなもの?――「視覚」から「思考」へ
[CLASS 5] 私たちの目には「なに」が見えている?――「窓」から「床」へ
[CLASS 6] アートってなんだ?――アート思考の極致
[EPILOGUE] 「愛すること」がある人のアート思考
[“大人の読者”のための解説] 「知覚」と「表現」という魔法の力(佐宗邦威)

著者・出版

著者: 末永 幸歩(すえなが ゆきほ)

美術教師/東京学芸大学個人研究員/アーティスト。
東京都出身。武蔵野美術大学造形学部卒業、東京学芸大学大学院教育学研究科(美術教育)修了。 東京学芸大学個人研究員として美術教育の研究に励む一方、中学・高校の美術教師として教壇に立つ。 「絵を描く」「ものをつくる」「美術史の知識を得る」といった知識・技術偏重型の美術教育に問題意識を持ち、アートを通して「ものの見方を広げる」ことに力点を置いたユニークな授業を展開。生徒たちからは「美術がこんなに楽しかったなんて!」「物事を考えるための基本がわかる授業」と大きな反響を得ている。 彫金家の曾祖父、七宝焼・彫金家の祖母、イラストレーターの父というアーティスト家系に育ち、幼少期からアートに親しむ。自らもアーティスト活動を行うとともに、内発的な興味・好奇心・疑問から創造的な活動を育む子ども向けのアートワークショップ「ひろば100」も企画・開催している。 著書に『「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考』(ダイヤモンド社)がある。

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