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稼ぎ続ける力「定年消滅」時代の新しい仕事論(小学館)大前研一

Book Summary
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レビュー

「定年」がなくなる…50代からどう働くか。

2021年4月、「70歳就業法」が施行され、いよいよ「70歳定年」が現実のものになろうとしている。今はまだ企業への“努力義務”だが、近い将来義務化され、雇用形態も多様化していくと予想される。「定年消滅」時代がやってくる。

それに合わせて懸念されているのが、年金の支給開始年齢の引き上げだ。支給開始が70歳になれば、それまで稼ぎ続けなくてはいけなくなる。「年金2000万円問題」では政府が慌てて火消しに走ったが、根本的な問題は何も解決していない。にもかかわらず、年金の支給開始が今よりも遅くなったら、「下流老人」や「老後破産」に追い込まれる人が続出する可能性も出てくる。「もはや考え方を変えるしかない」――世界的経営コンサルタントは、死ぬまで「稼ぐ力」をつけるべきだと主張する。

〈そもそも何をもって「高齢者」という線引きをするのか? 老化の度合いは同年齢でも個人差が大きい。私は、年齢による差別は男女差別と同じくらいあってはならないものであり、「高齢者」とみなすかどうかは本人の資質や能力によって決めるべきだと考えている。〉

〈定年になっても、あるいはもし解雇されたとしても、別の会社で求められる人材にならねばならない。そういう余人をもって代えがたいスキルを、今の会社に勤めている間にリカレント教育で身につけ、磨いていけばよいのである。〉(「新書版まえがき」より抜粋・構成)

単行本『50代からの「稼ぐ力」』をアップデートして新書化。

人生の後半戦を、より前向きに生きるための考え方とスキルを伝授する。

本書のPoint
リカレント教育
大前さんが考えるリカレント教育は若年層から「生涯にわたり」行うべきと考えているのに対し、政府は60歳前後の人の再教育にのみ重きを置いていた。年金の受給開始時期の繰り下げや受給額の減額を見越してのことだろう。定年後年金が受給されるまでだけ若干稼げる力をつけさせることが、日本政府がリカレント教育に力を入れる本当の理由なのだ。これは、安倍首相が自ら議長を務める未来投資会議の席上で、「70歳までの就業機会を確保する」と言及したこととも一致する。さらに、安倍首相は65歳までの継続雇用を企業に義務づける制度を残しながら、65歳以上の「シニア転職」を増やすとも述べている(2018年10月23日付「日本経済新聞」)。

現行の年金制度では、受給開始年齢は65歳に設定されている。そのため60歳で定年退職 を迎えるとなると、その後の5年間新たな仕事を見つけなければ、退職金や預貯金を食いつぶすしかない。定年後、生活費を月15万円に抑えたとしても受給開始年齢の65歳までの5年間で900万円必要になる。ところが、政府は公的年金の受給開始年齢を「75歳」まで引き上げようとしている。今後、受給開始年齢が75歳まで引き上げられた場合、生活費が月15万円として65歳からの10年間で1800万円が必要となる。このままでは、ほとんどの人が年金の受給開始までの時期を乗り切ることができないだろう。これからの時代は、60歳から75歳の「魔の15年」を乗り切り、生涯にわたって豊かに生き続けるためにも、国民一人一人が「稼ぐ力」を身につけるしかない。そのためには若い頃から意識してリカレント教育に積極的に取り組む必要がある。日本政府は年金の受給開始年齢を75歳まで引き上げたいのであれば、もっと若い層からのリカレント教育に本気で取り組むべきだ。
■ 生涯現役
政府の「人生100年時代構想会議」のメンバーには、『LIFE SHIFT(ライフ・ シフト)― 100年時代の人生戦略』(東洋経済新報社)の著者であるロンドンビジネスス クールのリンダ・グラットン教授も加わっている。彼女は「人生100年時代」の言葉が日本で認知されるきっかけとなった人だ。同書には、世界的に進む長寿化を踏まえ、仕事やライフスタイルをマルチステージ型で構築する上での考え方などが書かれているが、これは私がリカレント教育を必要と考える理由とも符合する。

日本政府としてはグラットン氏を会議のメンバーに引き入れてみたが、目の前に迫る年金問題の方に関心を持っているのが本音だろう。これでは、リカレント教育の本来の趣旨と離れてしまうが、日本政府がそういった考えに至るのも分からなくもない。日本の年金制度はほぼ限界を迎え、老後問題は年々ますます深刻になっていくことが予想されるからだ。年金制度がスタートした1960年代は、1人の高齢者を11人の現役世代(20〜64歳) が支えていたが、今は1人の高齢者を2人の労働者が支えている状態である。今後さらに年金受給者が増えていけば、現在の年金制度を維持できるはずがない。デモグラフィー(人口動態)を見ると、2007年生まれの日本人の半数が107歳に達すると予想される。20世紀の日本人の平均寿命が80歳程度だったことからすると、定年退職後の余命は今の倍程度になる計算だ。人生80年時代であれば、60歳で定年を迎え退職金と年金だけで残りの20年間を生きることは可能だった。日本の社会保障や企業の人事制度もそういった前提で設計され、個人もそれを信じてライフプランを描いてきた。だが間もなくこうした考え方は通用しなくなる。21世紀型のライフモデルにシフトするためには、「生涯現役」を前提とする必要がある。

60歳を過ぎても働くのが当たり前であり、死ぬまで国に頼らずに自分の面倒は自分で見るというマインドセットや、そのために必要なスキルを個々人が身につける必要がある。政府や企業はライフステージの全ての段階に対応したリカレント教育の仕組みを構築し、個人は生涯学ぶ姿勢を身につけることが、21世紀に生き残るために不可欠なものになるだろう。
■ コア人材とノンコア人材を分ける社内育成
経営をスリムにするには、コア人材を使いこなすことができる人材を育てるとともに、コア人材を除いては外部のプロフェッショナルを活用するなどして、「アウトソース化・自動化・省力化」を組み合わせる必要がある。

コア人材の育成については、「既存事業を伸ばす」「新規事業を立ち上げる」「コストダウンを徹底する」の三つの課題を与えてみてはどうか。これ らは会社の業績に直結するもので、コア人材が将来的に経営陣として真剣に取り組むべき課題だからだ。これらの仕事は、人によって得手不得手があり、新規事業を考えるのは得意でも、コストへの意識が希薄といったこともあるだろう。社員の性格(キャラクター)を押さえておくことは、将来的な人材配置にも役立つ。
一方、ノンコア人材については、会社の本来の業務ではないところで彼らの可能性を探らなくてはならない。その上で、定年までに新たな道筋を踏ませることが大切だ。たとえば新規事業へチャレンジさせたり、労働時間の15〜20%を社会貢献や自己啓発に割り当てさせたりといったサポートを行うのだ。
本書の目次

はじめに――「稼ぐ力」は「見えない貯金」である

第1章[近未来予測]
2040年に「老後」は存在しない

第2章[思考改革]
人生を「国任せ」にするな

第3章[実践編1]
会社を実験台にして「稼ぐ力」を身につける

第4章[実践編2]
「お金を生む」発想力を磨く

第5章[実践編3]
稼げるビジネスはこれだ

第6章[終活編]
稼いだお金は死ぬまでに使い果たそう

おわりに――稼ぐ「発想力」の鍛え方

著者・出版

大前研一(おおまえけんいち)

1943年、福岡県に生まれる。
早稲田大学理工学部卒業後、東京工業大学大学院原子核工学科で修士号を、マサチューセッツ工科大学大学院原子力工学科で博士号を取得。日立製作所原子力開発部技師を経て、1972年、マッキンゼー・アンド・カンパニー・インク入社。 「ボーダレス経済学と地域国家論」提唱者。 マッキンゼー時代にはウォールストリート・ジャーナル紙のコントリビューティング・エディターとして、また、ハーバード・ビジネスレビュー誌では経済のボーダレス化に伴う企業の国際化の問題、都市の発展を中心として拡がっていく新しい地域国家の概念などについて継続的に論文を発表していた。
この功績により1987年にイタリア大統領よりピオマンズ賞を、1995年にはアメリカのノートルダム大学で名誉法学博士号を授与された。 英国エコノミスト誌は、現代世界の思想的リーダーとしてアメリカにはピーター・ドラッカー(故人)やトム・ピータースが、アジアには大前研一がいるが、ヨーロッパ大陸にはそれに匹敵するグールー(思想的指導者)がいない、と書いた。同誌の1993年グールー特集では世界のグールー17人の一人に、また1994年の特集では5人の中の一人として選ばれている。2005年の「Thinkers50」でも、アジア人として唯一、トップに名を連ねている。 2005年、「The Next Global Stage」がWharton School Publishingから出版される。本著は、発売当初から評判をよび、既に13ヶ国語以上の国で翻訳され、ベストセラーとなっている。
経営コンサルタントとしても各国で活躍しながら、日本の疲弊した政治システムの改革と真の生活者主権国家実現のために、新しい提案・コンセプトを提供し続けている。 経営や経済に関する多くの著書が世界各地で読まれている。 趣味はスキューバダイビング、スキー、オフロードバイク、スノーモービル、クラリネット。
ジャネット夫人との間に二男(長男:創希,次男:広樹)。
【略歴】
1943年福岡県に生まれる。
早稲田大学理工学部卒業後、東京工業大学大学院原子核工学科で修士号を取得。
1970年6月マサチューセッツ工科大学大学院原子力工学科で博士号を取得。
1970年(株)日立製作所へ入社。(原子力開発部技師)
1972年マッキンゼー・アンド・カンパニー入社。この頃書きためたノートを書籍「企業参謀」として1975年に出版。
マッキンゼー・アンド・カンパニーではディレクター、日本支社長、アジア太平洋地区会長、を務める。
世界の大企業やアジア・太平洋における国家レベルのアドバイザーとして活躍のかたわら、グローバルな視点と大胆な発想で、活発な提言を行っている。
1992年政策市民集団「平成維新の会」を設立、その代表に就任。
1994年20年以上勤めたマッキンゼー・アンド・カンパニーを退職。
同年、国民の間に議論の場を作るとともに、人材発掘・育成の場として「一新塾」を設立し、2002年9月まで塾長として就任。現在はファウンダー。
1996年起業家養成のための学校「アタッカーズ・ビジネス・スクール」を開設、塾長に就任。
1997年カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)大学院公共政策学部総長教授に就任。
1997年~
1998年スタンフォード大学大学院経営学部(MBA)客員教授
1998年(株)ビジネス・ブレークスルー設立、代表に就任。2005年4月に本邦初の遠隔教育によりMBAプログラムとして大学院開校、学長に就任、2010年4月にはビジネス・ブレークスルー大学開校、学長に就任。
2002年中国遼寧省、及び、天津市の経済顧問に就任。
2006年大連の名誉市民に選出。
2007年3月財団法人大塚敏美育英奨学財団設立と同時に理事に就任。
2010年重慶の経済顧問に就任。
2011年CCTV (China Central Television(中国中央電視台))顧問に就任。
2012年4月公益財団法人の移行登記をもって公益財団法人大塚敏美育英奨学財団理事に就任。

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