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君主論(岩波文庫)マキアヴェッリ

Book Summary
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レビュー

国家統治者たる「君主」はどうあるべきなのか、歴史上の君主や君主国を分析して政治のあり方を論じた『君主論』です。著者のマキャヴェリは、政治と宗教・道徳を切り離して考える現実主義政治理論を唱えた人物で、現代にも通じる政治学の基礎を築いたひとりに数えられています。

マキャヴェリが『君主論』で説いた思想は、現代でも「マキャヴェリズム」と呼ばれて広く浸透しています。その内容を要約すると、「美化を排除して徹底して現実を認識する」、「目的のためには手段を選ばない」の2つになるでしょう。

たとえばマキャヴェリは民衆について、「民衆というものは、頭を撫でるか、消してしまうか、そのどちらかにしなければならないものである」と述べています。つまり君主は、民衆を統治の対象として見るだけでなく、潜在的には敵になりかねない存在だと認識すべきだと論じているのです。またマキャヴェリは、君主にとって軍備と法律は不可欠なものであるとし、「すべての国にとって重要な土台となるのは、よい法律とよい武力である」と述べています。そして「よい武力」とは、自国民から編成する自国軍であるとしているのです。これは当時のイタリアにおいて主流だった、傭兵や外国からの援軍をかえって危険だと指摘したもの。また、君主が気前の良さを発揮するとかえって財政が圧迫され重税を課さなければならないなどの例をあげ、ケチだと批判されることは気にする必要がないとしているのです。また「残酷さと憐み深さ」についての考察では、「憐み深い」という評価が好ましいとはしながらも、憐み深い政策が行きすぎると無政府状態を招きかねないとして、残酷といわれることも恐れてはならないと論じました。マキャヴェリは、「君主は愛されるより恐れられる方がはるかに安全である」と考えていたのです。

本書のPoint
小さな国家は、リーダーに統率力がなければ生き残れない
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「人が現実に生きているのと、人間いかに生きるべきかというのとは、はなはだかけ離れている。だから、人間いかに生きるべきかを見て、現に人が生きている現実の姿を見逃す人間は、自立するどころか、破滅を思い知らされるのが落ちである」
「加害行為は、一気にやってしまわなくてはいけない。そうすることで、人にそれほど苦汁をなめさせなければ、それだけ人の恨みを買わずにすむ。これに引きかえ、恩恵は、よりよく人に味わってもらうように、小出しにやらなくてはいけない」(共に池田廉訳『新訳 君主論』より)
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なんとも辛辣な言葉ですが、現実社会の一面の真実を暴いているようでもあります。マキアヴェリと『君主論』の論旨は、人も組織も、国家さえもタテマエでは動かない、ということです。理想論や単なる人情論ではなく、現実の中で役立つ指導力を発揮しなければ、厳しい世界でリーダーはとても自分の立場と組織を守れないのです。
正しい目標を掲げ「あなたの地位も安泰ではない!」と告げよ
組織と人を動かし成長させる「正義」を掲げ、指導力の基礎とする
のんびりと過ごした人たちに「あなたの地位も安泰ではない!」と告げて発奮させる
これは、京セラの名誉会長で、日本航空(JAL)を再生させたことでも有名な稲盛和夫氏は、会社の理念を「全従業員の物心両面の幸福を追求すると同時に、人類の進歩発展に貢献する」と決めたあと、はじめて社員を叱ることが可能になったと著書『こうして会社を強くする』で書いた言葉です。

それまで社員が働くこと自体が正義だったのですが、理念を決めたあとは、理念に一致しない働き方に対して、「怠けていると厳しく叱る」ことができたのです。 目標がなければ必ずぬるま湯が生まれます。古株の社員さえも「安泰ではない」と焦る新たな目標を掲げるなら、怠惰を許さず全力疾走させることができるのです。これを非情、冷たさと考えるのは、『君主論』が説く現実がわかっていない証拠です。愚かなリーダーが、優しさや甘さで国家や会社を潰したとき、そこにいる人はすべて殺されるか、路頭に迷うことになるのですから。
リーダーが身につけるべき「生き残るための条件」
(1)「君主は歴史上のリーダーの成功と失敗から学べ」
⇒多くの場合、君主が直面する選択は、すでに「過去のリーダーが答えを出した成功事例と失敗事例」があるのだから、重要な参考にすべきである。
(2)「状況こそが、常に最善手を決める」
⇒成功と失敗は「時代や状況と合致しているか否か」で決まる。
(3)「人を従わせるリーダーは、恨みを買うことなく恐れられよ」
⇒愛されてかつ恐れられることが理想だが、両方できないときは、君主は「恐れられる」ほうがいい。
(4)「国を守るための冷酷さを発揮せよ」
⇒国を守り秩序を維持するため、冷酷さを発揮する人は、それで国が保たれるならむしろ憐れみ深い人である。
(5)「運命は抵抗力がないところほど猛威を振るう」
⇒運命は抵抗力のないところに猛威を振るうから、「自らの意志」を発揮せよ。また、
(6)「民衆の気まぐれに頼るのではなく君主は自ら仕掛けよ」
⇒支配者は自らの立場を守るため、幸運に頼るのではなく、自ら仕掛けてその地位を強固にしなければならない。
(7)「平時にこそ、先を見据えて問題に備えよ」
⇒君主である者は、問題が起こる前にそれを考えておき、問題が小さなうちに素早く対処すべきである。
第8章 「極悪非道によって君主の座に達した者たちについて」
正しい極悪非道⇒必要な極悪非道を一挙に全てやってしまい、その後は臣民に長い時間をかけて恩恵を施す。 良くない極悪非道⇒必要な極悪非道を一度に行ってしまわず、長い時間臣民を苦しめる。 マキャベリはアガートクレの業績を極悪非道ゆえに認めない方向だが、ボルジアの謀略とアガートクレの極悪非道の何が違うのか、私には良く分からない。さらに、最後には「正しい極悪非道」のやり方も示しており、マキャベリがどこまで極悪非道を許容しているのか良く分からない。

第16章 「気前の良さとけちについて」
結論:吝嗇(けち)の方が良い。 「気前の良い」君主は、実際は臣民から所有物を奪うことになるので、少数の者に褒美をやるために多くの者から搾取することになる。逆に「吝嗇けち」な君主は多くの者に「奪わない」という形で「気前の良さ」を示すことになる。 「気前の良さ」は、これから君主になろうという途上では必要だが、既に君主であるものが「気前の良い」君主である必要はない。また、自分の所有物を費やしてまで「気前の良い」君主である必要はなく、ただ獲得した他人の所有物を分配するときにだけ「気前の良さ」を発揮すれば良い。

第17章 「冷酷と慈悲について。また恐れられるよりも慕われるほうがよいか、それとも逆か」
結論:慕われるよりも恐れられたほうが良い。 ここでマキャベリのいう「冷酷さ」とは、状況を改善するために一部のものを処断する際の決定の意志力を言うと考えられる。一方、「過度の慈悲深さ」とは、放任によって乱れさせること、それらをそのまま放置しておくことを言うと思われる。 それらを比べたときは、冷酷さの方が確かに良い気がする。 慕われなくてもいいが、憎まれてはいけない。 軍隊を率いる時は、冷酷という悪評はまったく気にする必要はない。

第18章 「どのようにして君主は信義を守るべきか」
信義を守ることで不利になるなら守らなくていい。ただし、不履行を正当化する潤色は必要。 同様に、信義のほかの美徳も「身に付けている」と見せかけることは有益であるが、実際にその通りに振舞うことは有害であり、必要であれば悪徳も断行しなければならない。

第21章 「尊敬され名声を得るために君主は何をなすべきか」
偉大な事業を起こして自らを類稀な規範として示すこと以上に、君主の名声を高めるものはない 。内政に関して、比類なき実例を示すことも、君主にとって大いに役立つ。内外に対して実績をもって尊敬を勝ち得るべしといっている。 また、どちらの味方するか態度を明確にすることは、中立を守ることよりもはるかに有用である。中立は良いことないので、はっきりどっちかに肩入れすべき。

第23章 「どのようにして追従者を逃れるべきか」
基本は自分が選んだ者にだけ、自分が訊きたい事柄だけを助言させる。助言を受けた後どうするかは自分で決める。そして、賢者以外の者の意見には耳を貸さず、あくまで決断を貫く。そうしなければ、追従者(おべっかもの)に惑わされたり、他の意見を聞くたびにコロコロ方針を変えて自分の評価を下落させることになる。

第25章 「運命は人事においてどれほどの力をもつのか、またどのようにしてこれに逆らうべきか」
「平時から準備しとけ」が繰り返され時代に合わせて行動様式を変えろとの助言があるが、これはマキャベリも大変難しいとしており、そこまでをメディチに求めていたかどうかは疑問であり、それゆえに「慎重であるよりは果敢である方がまだ良い」ベターと思われる方向を主観的に示しているのかもしれない。

<運命によって滅びるケース>
1、全面的に運命にもたれかかっていて、それが変転したから
2、今までは君主の行動様式が時代の特質に合っていたが、それが合わなくなったから

<運命の扱い方>
1、基本は平穏な時に逆境に備えて用意しておく
2、時代の特質に合わせて自分の行動様式を変化させる(これはすごく難しい)
3、(マキャベリの主観的判断では)慎重であるよりは果敢である方が、運命を支配しやすい
本書の目次

第一章 君主政体にはどれほどの種類があるか、またどのようにして獲得されるか
第二章 世襲の君主政体について
第三章 複合の君主政体について
第四章 アレクサンドロスに征服されたダレイオス王国で、アレクサンドロスの死後にも、その後継者たちに対して反乱が起きなかったのは、なぜか
第五章 征服される以前に、固有の法によって暮していた都市や君主政体を、どのようにして統治すべきか
第六章 自己の軍備と力量で獲得した新しい君主政体について
第七章 他者の軍備と運命で獲得した新しい君主政体について
第八章 極悪非道によって君主の座に達した者たちについて
第九章 市民による君主政体について
第一〇章 どのようにしてあらゆる君主政体の戦力を推し量るべきか
第一一章 聖職者による君主政体について
第一二章 軍隊にはどれほどの種類があるか、また傭兵隊について
第一三章 援軍、混成軍、および自軍について
第一四章 軍隊のために君主は何をなすべきか

著者・出版

ニッコロ・マキャヴェッリ

生年月日: 1469年5月3日
出生地: イタリア フィレンツェ
死亡日: 1527年6月21日, イタリア フィレンツェ

イタリア、ルネサンス期の政治思想家、フィレンツェ共和国の外交官。 著書に『君主論』、『ティトゥス・リウィウスの最初の十巻についての論考』、『戦術論』がある。理想主義的な思想の強いルネサンス期に、政治は宗教・道徳から切り離して考えるべきであるという現実主義的な政治理論を創始した。

・ 祖父母: ニッコロ・マキャヴェッリ、 ステファノ・ネッリ、 Laudomia Acciaioli
・ 曽祖父母: Nerio|Rainerio I Acciaioli (Acciaiuoli), Duke of Athens
・ 影響を受けた人: ジャン=ジャック・ルソー、 フリードリヒ・ニーチェ、 さらに表示
・ 影響を与えた人: レオナルド・ダ・ヴィンチ、 アリストテレス、 プラトン

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