本サイトで紹介する本に関する理解度チェック問題になります。
問題を解きながら、本の概要を理解できるように、
問題以上に解説に力を入れておりますので、是非活用ください。
[3つのポイント]
・戦術の奥義は「機動」にあり |
・戦術立案時は利点だけでなく危険も考慮しろ |
・相手に先んじて遠近の計を使え |
[サマリ]
戦場において、軍をどうやって動かすかを解説しています。兵勢篇と虚実篇を総合した篇といってもよいと思います。「軍争」とは軍の争うところのことであるが、具体的に何を争うかといえば、主導権です。つまり、機先を制することであり、この篇ではその手法について詳しく述べられています。軍争は敵の先手を取ることであり、その手段として、味方が素早く動くことの他に敵を遅らせることと孫子は考えています。
本章を経営に置き換え解釈すると、迂回して遠回りしているように見せかけておいて、実は先回りしているとか、後から出発したのに、先に到着するような、遠回りを近道に変える戦術を「迂直の計」と言う。それがなぜできるのか。全体観を持ち、長期戦略と短期戦術とが頭の中でつながっているからだ。経営者たる者、「迂直の計」を知らねばならない。経営者には、長期と短期、全体と部分、プラスとマイナス、迂と直を見極める目が必要となる。現場の社員が焦って右往左往していても、泰然として進むべき道を示さなければならない。但し、いきなり遠回りを近道に変えよう(迂直の計)としても、そう簡単にはいかない。事前に準備しておく、備えておく、よくよく考えておく、ということが必要だ。たとえば、戦略実現のためのショートカットとして、他社とアライアンスを組み、ネットワーク化によって事業を進めて行こうとすれば、そもそも、それぞれの企業がどういう利害と意図を持っているかを事前につかんでおかなければならない。自社さえ良ければ、という自社都合、自社の勝手だけで進むわけではないのである。
そして、武田信玄の旗印で有名な風林火山も元は、孔子の戦術を武田信玄が利用したのである。「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」(疾(はや)きこと風の如く、徐(しず)かなること林の如く、侵掠(しんりゃく)すること火の如く、動かざること山の如し)が武田信玄の用いた旗印となるが、孔子の「故に其の疾きこと風の如く、其の徐(しず)かなること林の如く、侵掠(しんりゃく)すること火の如く、知りがたきこと陰の如く、動かざること山の如く、動くこと雷霆(らいてい)の如し」を引用したものである。
本章の最後では、孫子は、大軍の意識統一の重要性を説明している。大軍を動かす時には口で言っても聞こえないので、鉦や太鼓を用い、手で指し示しても見えないので、旗や幟を用意するのだが、それは単なる手段の違いであって、大切なことは、人の耳目を一にする、すなわち全員の意識を統一することであると説いた。手段は何でもいいのだ。法螺貝でも、狼煙でも、ITでも、手段はその時、その場に合わせて選択すればいい。問題は組織全体の意識統一にある。ここでは、情報伝達、情報共有と単純に考えずに、組織を動かす時には、全員が納得し、共感し、魅力を感じる旗印が必要なのだ、と考えたい。旗印とは、理念や目的、将来ビジョンである。自分たちは何者で、何をしようとしていて、それが実現することでどういう価値が生まれるのかを共有するということであると言ってもいい。それに対して全員が魅力を感じ、共感共鳴していなければ、日々のマネジメントをいくら厳しくしたところで、有効な行動は導き出せない。
読み下し文 | 現代語訳 |
孫子曰く、およそ兵を用うるの法は、将、命を君より受け、軍を合し衆を聚め、和を交えて舎まるに、軍争より難きはなし。軍争の難きは、迂をもって直となし、患をもって利となす。ゆえにその途を迂にして、これを誘うに利をもってし、人に後れて発し、人に先んじて至る。これ迂直の計を知る者なり。 | 孫子はいう。戦争の原則としては、将軍が主君の命を受けてから軍隊を統合して兵士をあつめて敵と退陣し止まるまでの間で、軍争(機先を制するための争い)ほど難しいものはない。軍争の難しいのは、廻り遠い道を近道にし、害あることを利益に転ずることである。相手より後に出発して先につく、それが遠近の計(遠い道を近道に転ずる謀)を知るものである。 |
ゆえに軍争は利たり、軍争は危たり。軍を挙げて利を争えばすなわち及ばず、軍を委てて利を争えばすなわち輜重捐てらる。このゆえに甲を巻きて趨り、曰夜処らず、道を倍して兼行し、百里にして利を争うときは、すなわち三将軍を擒にせらる。勁き者は先だち、疲るる者は後れ、その法、十にして一至る。五十里にして利を争うときは、すなわち上将軍を蹶す。その法、半ば至る。三十里にして利を争うときは、すなわち三分の二至る。このゆえに軍に輜重なければすなわち亡び、糧食なければすなわち亡び、委積なければすなわち亡ぶ。
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軍争は利益を収めるが、軍争はまた危険なものでもある。
もし全軍こぞって有利な地を得ようとしたら大部隊では行動が敏にいかないから遅れてしまい、もし小隊で行動すれば、重い荷物や兵糧がすてられ敗北する。 以上のことによって、軍争はむつかしいことが分かる。 |
ゆえに諸候の謀を知らざる者は、予め交わることあたわず。山林・険阻・沮沢の形を知らざる者は、軍を行ることあたわず。郷導を用いざる者は、地の利を得ることあたわず。
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そこで諸侯たちの腹のうちが分からないので前もって同盟することができず、山林や険しい地形が分からないので軍隊を進めることが出来ず、その地に詳しい案内役がいなければ地の利益をおさめることができない。 |
ゆえに兵は詐をもって立ち、利をもって動き、分合をもって変をなすものなり。ゆえにその疾きこと風のごとく、その徐かなること林のごとく、侵掠すること火のごとく、動かざること山のごとく、知り難きこと陰のごとく、動くこと雷震のごとし。郷を掠むるには衆を分かち、地を廓むるには利を分かち、権を懸けて動く。迂直の計を先知する者は勝つ。これ軍争の法なり。
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そこで戦争は敵の裏をかくことを中心とし、利あるところに従って行動し、分散や集中で変化の形をとっていく。だから風のように迅速に進み、林のように息をひそめて待機し、火の燃えるように侵奪し、暗闇のように分かりにくくし、山のようにどっしり落ち着き、雷鳴のように激しく動き、村里ををかすめ取って兵士を手分けし、万事についてよく見積もり図ったうえで行動する。 相手に先んじて遠近の計(遠い道を近道に転ずる謀)を知るものがつのであって、これが軍争の原則である。 |
軍政に曰く、「言うともあい聞えず、ゆえに金鼓を為る。視すともあい見えず、ゆえに旌旗を為る」と。それ金鼓・旌旗は人の耳目を一にするゆえんなり。人すでに専一なれば、すなわち勇者もひとり進むことを得ず、怯者もひとり退くことを得ず。これ衆を用うるの法なり。ゆえに夜戦に火鼓多く、昼戦に旌旗多きは、人の耳目を変うるゆえんなり。ゆえに三軍には気を奪うべく、将軍には心を奪うべし。このゆえに朝の気は鋭、昼の気は惰、暮の気は帰。ゆえに善く兵を用うる者は、その鋭気を避けてその惰帰を撃つ。これ気を治むる者なり。治をもって乱を待ち、静をもって譁を待つ。これ心を治むる者なり。近きをもって遠きを待ち、佚をもって労を待ち、飽をもって饑を待つ。これ力を治むる者なり。正々の旗を邀うることなく、堂々の陳を撃つことなし。これ変を治むるものなり。
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古い兵法書では口で言ったのでは聞こえないから太鼓やカネの鳴り物を備え、指示して見えないから旗やのぼりを備えるとある。だから昼間は旗を多く用い、夜は太鼓やカネなどのなりものをよくつかう。鳴り物や旗のたぐいは、兵士たちの耳めを統一するためのものである。兵士たちが集中統一されているから勇敢なものは進むことができず、臆病者はかってに退くことがはできない。
戦争の上手な人は相手の鋭い気力を避けて、衰えしぼんだところをうつ。 治まった状態で混乱した敵をつち、冷静な状態でざわめいた敵をうつ。またよく整備した旗ならびには攻撃をしかえけず、堂々と充実した陣立てには攻撃をかけない。それが敵の変化をまってその変化をついて打ち勝つというものである。 |
ゆえに兵を用うるの法は、高陵には向かうことなかれ、丘を背にするには逆うことなかれ、佯り北ぐるには従うことなかれ、鋭卒には攻むることなかれ、餌兵には食らうことなかれ、帰師には遏むることなかれ、囲師には必ず闕き、窮寇には追ることなかれ。これ兵を用うるの法なり。
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〇第一 始計篇
(戦う前に心得ておくべきこと、準備しておくべきこと)
〇第二 作戦篇
(戦争準備計画についての心得)
〇第三 謀攻篇
(武力ではなく「はかりごと」の重要性)
〇第四 軍形篇
(攻撃・守備、それぞれの態勢のこと)
〇第五 兵勢篇
(戦う前に整えるべき態勢)
〇第六 虚実篇
(「虚」とはすきのある状態、「実」は充実した状態の制御方法)
〇第七 軍争篇
(戦場において、軍をどうやって動かす方法)
〇第八 九変篇
(戦場で取るべき九つの変化について説明)
〇第九 行軍篇
(戦場における行軍の考え方)
〇第十 地形篇
(戦う時の事項を地形と軍隊の状況の二つに分け六つの状況を解説)
〇第十一 九地篇
(地形篇に続き、戦場となる地形と兵の使い方)
〇第十二 火攻篇
(火攻めを中心に解説)
〇第十三 用間篇
(敵の情報を入手するには間諜の用い方)
著者: 孫氏
『孫子』(そんし)は、紀元前500年ごろの中国春秋時代の軍事思想家孫武の作とされる兵法書。武経七書の一つ。古今東西の兵法書のうち最も著名なものの一つである。紀元前5世紀中頃から紀元前4世紀中頃あたりに成立したと推定されている。
『孫子』以前は、戦争の勝敗は天運に左右されるという考え方が強かった。孫武は戦争の記録を分析・研究し、勝敗は運ではなく人為によることを知り、勝利を得るための指針を理論化して、本書で後世に残そうとした。
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