スポンサーリンク

ライト兄弟―大空への夢を実現した兄弟の物語(三樹書房)富塚清

Book Summary
スポンサーリンク
レビュー

1903年12月17日午前10時33分。今からちょうど100年前、人気のない砂浜でライト兄弟の発明した飛行機が飛んだ。その時間は12秒。人類史上初めての飛行は、こうしてひっそりと行なわれていたのだ。その後の歴史と文明に大きな変化をもたらした飛行機の発明は、名も知れない田舎の青年達が生み出していた。力をあわせて空への想いを実現し、今日のジェット機時代到来の基礎を築いた兄弟と、それを影になって支え続けた家族達の感動の開発ものがたり。


ウィルバーとオービルのライト兄弟は、19世紀末に生まれたアメリカの発明家です。新聞の発行、印刷機の開発などものづくりが大すきだったふたり。独自のグライダーで、飛行実験をしていたオットー・リリエンタールにあこがれ、自に空をとぶことができるエンジンつき飛行機の開発にいどみます。自転車屋の経営のかたわら研究を重ね、ついにライト兄弟の飛行機が空へとびたったのです。

本書のPoint 
ウィルバーとオービルは超仲良し兄弟
牧師の家に生まれたライト兄弟は、父からもらったヘリコプターのおもちゃが大のお気に入りでした。11歳の兄の名はウィルバー、7歳の弟の名はオービルといい、とても気の合う兄弟だったようです。いつの時代の男の子もそうですが、この兄弟も同じように機械いじりが幼い頃から大好きでした。

やがて成長し、高校を中退した後、タウン誌を発行する会社に就職して、兄弟が同じ職場で働き出すほど、彼らの仲の良さは変わらなかったようです。仕事をしながら趣味と実用を兼ねて職場の印刷機など改良し、経験値を積んでいたのですが、ある日ライト兄弟は、「自転車」に深く興味を持つようになりました。そしてふたりで自転車屋を開業し、お互いに協力し合いながら自転車の設計や制作を生業としたのです。ここまで仲の良い兄弟も珍しいかもしれません。

オットー・リリエンタールとライト兄弟の関係
ライト兄弟が自転車屋で設計とメンテナンスの経験を積んでいたころ、ドイツの発明家・オットー・リリエンタールは、大きな美しいグライダーを制作し、およそ2000回もの滑空飛行実験を繰り返していました。使用したグライダーは16機、しかし実験の最中に不幸にも墜落死してしまったのです。「空を飛ぶ」という命がけの無謀な夢に、それまで命がけとは無縁の普通の自転車屋だったライト兄弟が導かれたのは、このリリエンタールの事故が発端だったと言われています。

ライト兄弟は、彼の遺した実験データを入手し、本業の自転車屋のかたわら、グライダーの翼の改良を始めました。改良した翼にちゃんとした揚力と安定性が兼ね備えられているか、グライダーにロープをつけて、凧揚げの要領で風を受けて繰り返し飛ばしました。実験のたびに蓄積されていくデータはきちんと分析を重ねて熟慮し、そこに数多くの写真を追記して客観的に検証を重ねて記録し、次の実験機への改良に生かされます。

さらにライト兄弟は、操縦士自身の熟練度をアップさせることも重要視していました。
およそ700回におよぶグライダー実験をこなすことで、飛行中に機体のコンディションが崩れても、熟練した操縦士の技術で安定性を補うことが可能でした。揚力と安定性、機体コントロール技術と熟練した操縦士を得たライト兄弟は、さらに独自開発した2台のプロペラと小型エンジンを積み込み、念願のフライト実験に挑みました。
ライト兄弟の成功の秘訣とは
ふたりは結婚もせず、仕事に打ち込み続けたのですが、ウィルバーが45歳の若さで重い腸チフスのために亡くなってしまうと、ウィルバーを喪ったオービルもまた飛行機会社を辞め、77歳で亡くなるまでそっと余生をすごしたそうです。

データを蓄積することの大切さ、失敗したことで得られる教訓を無駄にしないこと、当時得られる飛行機に関する知識をどん欲に収集し、研究の糧にする情熱が、ライト兄弟にはありました。しかし、それだけでは情熱の継続は難しかったかもしれません。ライト兄弟は、お互いが「飛行機への夢」を増幅させる夢の結晶であり、理想であり、心から信頼できるバディであったのです。夢とは、一緒に抱えてくれる人が信頼できるほど、大きく強くなるのかもしれません。
ライト兄弟より前に空を飛んだ男たち!!
気球にのってどこまでも モンゴルフィエ兄弟
1783年、フランスのモンゴルフィエ兄弟は、世界初の「有人飛行」を達成しました。兄のジョセフ(1740-1810)、ジャック(1744-1799)のモンゴルフィエ兄弟は、はフランス東南部のリヨン近くのアノネーで製紙業を営む家に生まれました。彼らはまず紙袋に空気より軽い気体(のちにモンゴルフィエ・ガスとよばれた)を入れて飛ばす「煙袋」の実験に成功し、しだいに袋をスケールアップしていき、1783年7月に気球の公開実験を行いました。実験は成功し、続いて同年9月にはルイ16世をはじめとする貴賓が集まるなか、ベルサイユ宮殿でも公開実験を行いました。このとき、気球にはヒツジやアヒルなど動物が乗っていましたが、無事着陸しています。この成功で兄弟はルイ16世から勲章をもらっています。

飛んでないけど「航空学の父」ジョージ・ケイリー
サー・ジョージ・ケイリー(1773-1857)は空を飛んでいませんが「航空学の父」(the father of aviation)として知られています。 彼の功績は、近代的な航空機のモデルを提示したことでした。「固定翼」という考えも彼が広めたものでした。今でこそ翼が固定されているのは当たり前ですが、よく考えてみると、空を飛ぼうと思ったら鳥の真似をして羽をパタつかせてみようと思うのが自然ですし、実際、歴史上には「鳥人間」を目指して命を落とした人々が多くいます。ケイリーが現れるまで「固定翼」という考えが定着しなかったことは、それほど不思議ではないのです。

ライト兄弟に勇気を与えた男 オットー・リリエンタール
「不可能」と言われた飛行に挑むライト兄弟にとって、勇気を与えてくれる存在であったのが、ドイツのオットー・リリエンタール(1848-1896)でした。リリエンタールは「グライダー王」とよばれ、グライダーによる飛行を追求しました。彼の主な業績は空気よりも重い(heavier-than-air)グライダーによって空を飛び、さらに体の重心を移動することによる操縦を実現したことでした。オットー・リリエンタールは飛行実験を重ね、着々とデータを集め、飛行距離を伸ばしていきました。そして、1893年には250メートルという飛行距離記録を残しました。
本書の目次

第1章 大空と人類の夢
第2章 生い立ち
第3章 空への憧れ
第4章 成功のかげに
日本の航空パイオニアたち
富塚清先生とライト兄弟

著者・出版

著者: 富塚 清(とみつか きよし )



機械工学者。1893年、千葉県生まれ。東京帝国大学工学部機械工学科卒業。内燃機関と2サイクルエンジン研究に関する権威で、東京帝国大学教授、明治大学教授などを歴任。1988年死去
『ライト兄弟 大空をとぶ夢 講談社火の鳥伝記文庫』より

コメント

タイトルとURLをコピーしました