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獄中からの手紙(岩波書店)ガンディー

Book Summary
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レビュー

「インド独立の父」と呼ばれるマハートマ・ガンディー(1869-1948)の肩書を既成の言葉でカテゴライズすれば、「政治家」あるいは「革命家」となるでしょう。
しかし、文庫本でわずか160ページくらいの本書『獄中からの手紙』を読んで、ガンディーの本質はむしろ「宗教家」ではないか、と僕は思いました。

本書のもとになった内容が書かれたのは1930年のことで、当時、60歳を超えていたガンディーは刑務所に収監されていました。 当時まだ植民地だったインドでは、宗主国イギリスの政府しか塩を専売する権利はありませんでした。その塩の専売制度に対する抗議として、ガンディーは支持者たちと約380kmに及ぶ「塩の行進」を行って、逮捕、投獄されたのです。

獄中からガンディーは、毎週、自分が運営する修道場(アーシュラム)で学んでいた弟子たちに、正しい行動原理を教える手紙を書きました。 テーマは「真理」「愛」「清貧」「寛容」「カースト制度」「宗教」「国産品愛用運動」など十数個にわたり、それらが後に一冊の本にまとめられて、本書となったのです。

本書のPoint
厳しい自己抑制
人間はアヒンサー(愛)の達成のために〈いっさいの邪念や、過渡の焦燥、虚言や、憎悪、人への遺恨、等々〉を捨てされねばならない、とガンディーは説きます。
 
また、肉体的、性的な欲求を抑えるべきなのは当然で、さらに、自分の心も制御できるように常に精進しなければならない。
飲食物の摂取はなるべく少なくしなければならず、肉体的に必要最小限な分量だけを摂ればよい……などなど。
ちなみに、手の込んだ調理なども無用だと思っていたのか、訳者の森本達雄氏がインドでガンディーの修道場に宿泊したときに供された食事は〈薄味というより、ほとんど食材そのものの味といった印象であった〉そうです。

そして「所有」というテーマになると、ガンディーの姿勢はさらに厳格になり、ときに過激ささえ帯びてきます。
他人の物を盗んではならないのは当然ですが、それどころか、「本当に必要な物」以外は、持っていれば盗みに等しいと言うのです。
さらに、人の所有物を欲しいと思うことすら盗みに該当する、とまでガンディーは断言します。

〈たとい所有者の承諾があったとしても、ほんとうにそれが必要でなければ、他人からなにかを受け取るのは盗みです〉


〈心ひそかに、他人の持ち物を手に入れたいと願ったり、貪欲な目を向けたりするのも、また盗みです〉


〈たとえ、本来は盗んだ物でなくても、わたしたちが必要でない物を所有しているなら、それは盗品とみなされなければなりません〉

ここまで「所有」について厳しいのは、もちろん、非常に貧しかった植民地時代のインドで、イギリスからの独立後に建設する社会の指針を示すためでもあったでしょう。
たとえば次の一節など、新しい理想の世の中の基本哲学を、平易に説いたものだと思います。

〈もし各人が必要な物だけを所有するなら、ひとりとして困窮する者はなく、万人が満足して暮らしていけましょう〉

ただしガンディーにとって、これは決して単なる政治的なスローガンではなく、宗教的な強い信念の吐露でもありました。本書では何度も「神と一体化する」とか「真理は神である」といった表現が繰り返されます。
 
彼が強調するのは、物だけでなく、富や家族や肉体や他人への「執着」を完全に捨て去れば恐怖は消え、愛と真理に近づくということです。
暴力に対しても、暴力でやり返すのではなく、力による報復への執着を捨てた「非暴力」で対抗するという方針の方が、実は人々を成長させ、独立や新国家建設を実現させると考えていたのでしょう。

「所有」しない人や「執着」を捨てられる人こそが、多くの人々の魂を深いところで動かし、社会を変えることができる──というガンジーの思想から、僕は西郷隆盛の言葉を思い出しました。西郷は、

「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るものなり。この始末に困る人ならでは、艱難(かんなん)を共にして国家の大業は成し得られぬなり」

という名言を残しています。

■カースト制度
カースト制度(不可触民制)の撤廃を真正面から論じている点。彼がそういった主張をしたことは知ってましたが、実際に本人のストレートな言葉で読むと迫力が違います。

カースト制度は、今もなおインドに根強く残っていると聞きます。ましてガンディーの時代は、それを撤廃することなど、気が遠くなるほどの難事業だったでしょう。
ところが彼は次のようにぴしゃりと論難します。

〈この制度がヒンドゥー教の主要な要素でないばかりか、ヒンドゥー教に仇なす病原であり、これと闘うことはすべてのヒンドゥー教徒に課せられた義務である〉
■宗教は平等
決してヒンドゥー教だけが正しいとするのではなく、どの宗教も不完全で欠陥があり、優劣を比較する必要はないと明言しています。
 
その背後には、「ヒンドゥーとムスリムの融和を実現したい」という思い(実現はしませんでしたが)があるのでしょうが、時代状況と立場を考えると、あまりにも大胆な発言に驚いてしまいます。カースト制度の撤廃にせよ、ヒンドゥーとムスリムの融和にせよ、かなりラディカルな主張だったはずです。実際、それらの提唱が、間接的に後のガンディー暗殺につながったことを考えると、危険を顧みず信念を語った勇気には敬服せざるを得ません。

ヒンドゥー教だけでなくキリスト教、イスラム教の教えや、トルストイら外国の著作なども幅広く学んでいたというガンディー。桁外れの意志と見識と行動力を持ったリーダーだったのだなと、この薄い本書から感銘を新たにしました。
本書の目次

一 真 理
二 アヒンサー=愛
三 ブラフマチャリヤ=純潔・禁欲・浄行
四 嗜欲(味覚)の抑制
五 不 盗
六 無所有即清貧
七 無 畏
八 不可触民制の撤廃
九 パンのための労働
十 寛容即宗教の平等㈠
十一 寛容即宗教の平等㈡
十二 謙 虚
十三 誓願の重要性
十四 ヤジュニャ=犠牲
十五 ヤジュニャ(承前)
十六 スワデシー=国産品愛用

著者・出版

マハトマ・ガンディー


インド独立の父。「マハートマー(महात्मा)」とは「偉大なる魂」という意味で、インドの詩聖タゴールから贈られたとされるガンディーの尊称である(自治連盟の創設者・神智学協会会長のアニー・ベサントが最初に言い出したとの説もある)。また、インドでは親しみをこめて「バープー」(बापू:「父親」の意味)とも呼ばれている。
1937年から1948年にかけて、計5回ノーベル平和賞の候補になったが、受賞には至っていない。ガンディーの誕生日にちなみ、インドで毎年10月2日は「ガンディー記念日」(गांधी जयंती、ガーンディー・ジャヤンティー)という国民の休日となっており、2007年6月の国連総会では、この日を国際非暴力デーという国際デーとすることが決議された。

南アフリカで弁護士をする傍らで公民権運動に参加し、帰国後はインドのイギリスからの独立運動を指揮した。民衆暴動やゲリラ戦の形をとるものではなく、「非暴力、不服従」を提唱した。

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