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代表的日本人(岩波書店)内村鑑三

Book Summary
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レビュー

内村鑑三が本書『代表的日本人』を世に送り出したのは1907年。この本はタイトルの通り日本を代表する人物について、内村鑑三が自身の考察を含めて記したものです。その時代を背景とした使命感を帯びた書でもあり、海外に向けて日本人というものを知ってもらいたいというレポートでもありました。

内村鑑三はキリスト教徒でした。ですが、日本人にもその精神・あり方が優れた人たちがいることと、日本人にそれが脈々と引き継がれていることを主張したかったのではないでしょうか。現代は一体だれがこの本を読むのでしょう。それは海外の人ではなく、私たち日本人でしょう。代表的日本人たる人格を持った日本人が、現代にいかほどいるのでしょうか。その姿が絶対ではないにせよ、代表とされる5人にはそれぞれの美学があり、魅力があります。

著者の内村鑑三(1861-1930)は、宗教家、思想家として聖書研究を行い、既存のキリスト教派によらない「無教会主義」を唱えた人物。内村は、欧米人にもわかりやすいよう、聖書の言葉を引用したり、西洋の歴史上の人物を引き合いに出したりしながら、日本人の精神のありようを生き生きと描き出したのです。しかし、この著書は単なる海外向けの日本人論であるにとどまりません。取り上げた日本人たちの生き方の中に「人間を超えた超越的なものへのまなざし」「人生のゆるぎない座標軸の源」を見出し、日本に、キリスト教文明に勝るとも劣らない深い精神性が存在することを証だてました。さらには、西洋文明の根底的な批判や、それを安易に取り入れて本来のよさを失いつつある近代日本への警告も各所に込められています。この本は、単なる人物伝ではなく、哲学、文明論のようなスケールの大きな洞察がなされた著作でもあるのです。

本書のPoint 
西郷隆盛

「西郷隆盛」の章には内村自身の思想が色濃く反映している。明治維新の立役者であり勇猛果敢さが強調される西郷だが、実は、徹底して「待つ人」だった。真に必要に迫られなければ自ら動かない。しかし一度内心からの促しを感じたなら、躊躇することなく決断し動く。それこそが西郷という人物の真髄だった。それは、折にふれて、「自己をはるかに超えた存在」と魂の会話を続け、そこに照らして自らの生き方を問い続けた「敬天愛人」という信条から発するものだった。

彼から学ぶべきポイントは、天を待つ姿勢です。西郷は、やるべきことをやるとき、待つことが重要であることを知っていました。事実彼は、無欲で控えめ、常に何かを待っているような人間でした。例えば、13年間一緒に暮らしていた人が、一度も彼が下男を叱っているのを見たことがないというのだから驚きです。そんな彼は、天の声を非常に大切にしていました。天命を自分に人生の軸にしており、自分にできることを全てしたら、あとは天命を待つ、という姿勢をとっていたのです。だからこそ、数多くの偉業をなしとげ、日本の成長に貢献することができたのでしょう。人事を尽くして天命を待つ姿勢は、日本人の特徴の1つなのです。
上杉鷹山

上杉鷹山は、まず自らが変わることで、誰もが不可能と考えた米沢藩の財政を立て直した。「民の声は天の声」という姿勢を貫き、領民に尽くした鷹山の誠意が人々の心をゆり動かした結果である。 上杉鷹山は米沢藩の財政を再建したことで有名だが、単に机から財政政策や金融政策を指示していたわけではなく、50年、100年先を見据えた産業改革に手を付けていった。 江戸時代中期の大名で、米沢藩9代藩主で、彼は行政改革者として、藩の巨額の負債をなくし、貧困で苦しむ領民を救い出します。

彼から学ぶべきポイントは、以下の2つです。
・自己に天から託された民
・経済と道徳を分けない
領民に対して非常に粗末な態度をとる藩主が多くいた時代において、上杉鷹山は民を非常に大切に扱いました。天(おおいなるもの)から預けられている民を、捨てたり粗末に扱うことは彼の道徳心に反していたのです。
二宮尊徳

二宮尊徳は「自然はその法に従うものに豊かに報いる」との信念のもと、どんな荒んだ民の心にも誠意をもって向き合い、道徳的な力を引き出そうとした。その結果、途方もない公共事業を次々と成し遂げていった。

二宮尊徳は江戸時代後期の農政家・思想家です。普通の家出身でありながらも、地域の改革を指導するまでに至った彼は、とても有名です。彼は勤勉と労働の人間であり、また常に民を優先し自分を後回しにする姿勢を持っていました。内村は、彼から学ぶべきポイントは誠実さである、といいます。二宮尊徳は常に無私であり、人のため民のために行動します。仕事の優劣や上下関係も全て破壊し、勤勉に努力をしている人には地位に関係なく褒美を与えました。指示を出す指導者ではなく、根っこ掘りの男に最大の勲章と報酬を与えるのです。
中江藤樹


中江藤樹は「道は永遠から生ず」との信念を生涯つらぬき、たとえ藩主が訪ねてこようとも子供たちへの講義を中断することなく待たせた。また道に反することであれば最も尊敬する母親の意見も聞き入れなかった。

江戸時代初期の陽明学者です。江戸時代という士農工商の身分制度がある時代でありながらも、身分の上下を超えた平等思想を説いた彼もまた、多くの人々に愛された人物でした。中江藤樹は教育者として私塾を開きます。彼が教えていたのは、中国の古典・歴史・作詩・書道でした。これらは一見すると網羅的ではなく、学識に欠けるように思われます。しかし、そこには中江の考える、そして内村にも通ずるある思想がありました。

中江は、真の学者とは徳によって得られる名であり、学識によるものではない、ということを主張します。逆に学識だけある人はただの人なのです。
日蓮

日蓮は、若き日、膨大な仏典を読む中で出会った「依法不依人(法に依って人に依らず)」を生涯の座標軸に据え、「法華経」に殉ずる生き方を貫いた。その信念はいかなる権力の脅しにも屈せず、死罪、流罪をも精神の力ではねのけた。

日蓮は鎌倉時代の仏教僧であり、日蓮宗の開祖です。仏教の最盛期であった鎌倉時代に、革命的な思想を生み出し、多くの人々を幸福に導いた彼も代表的日本人の1人です。
日蓮は仏教僧として、南無妙法蓮華経という新たな概念を生み出します。これは大乗仏教に属する思想であり、お経の言葉を本気で信じて唱えれば、それであなたは救われる、という教えを説きます。厳しい修行を乗り越えなければ悟りは開けず、救われもしないと考える部派仏教とは違い、彼の教えは多くの民衆が救われる思想でした。まさに万人救済のための宗教なのです。


本書の目次

1 西郷隆盛―新日本の創設者
(一八六八年の日本の維新;誕生、教育、啓示 ほか)

2 上杉鷹山―封建領主
(封建制;人と事業 ほか)

3 二宮尊徳―農民聖者
(今世紀初頭の日本農業;少年時代 ほか)

4 中江藤樹―村の先生
(昔の日本の教育;少年時代と自覚 ほか)

5 日蓮上人―仏僧
(日本の仏教;生誕と出家 ほか)

著者・出版

内村 鑑三(うちむら かんぞう)


日本のキリスト教思想家・文学者・伝道者・聖書学者。福音主義信仰と時事社会批判に基づく日本独自のいわゆる無教会主義を唱えた。「代表的日本人」の著者でもある。
出生地: 東京都
生年月日: 1861年3月23日
死亡日: 1930年3月28日, 東京都


近代日本のなかで、言論で、文学で、そして宗教で、それぞれ後世に残るものを書き記し、はかり知れない思想的影響を当時は勿論、今の時代になっても色濃く残している人物、それが内村鑑三です。相馬愛蔵も内村から思想的影響を受けた者のうちの一人で、商売の基礎を形成し、商人としての道を築くのに充分な薫陶を受けたといえます。明治・大正・昭和と長きにわたって個人雑誌を発刊し、『万朝報』にも論文を載せ、「非戦論者」としても名を馳せた内村は、中村屋の経営にも大きな役割を演じることになったのです。

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