本サイトで紹介する本に関する理解度チェック問題になります。
問題を解きながら、本の概要を理解できるように、
問題以上に解説に力を入れておりますので、是非活用ください。
[3つのポイント]
・敵は分散させ、味方は集中させる |
・戦術の極意は「無形」 |
・敵ははっきり(虚)、こちらは無形(実) |
[サマリ]
「虚」とはすきのある状態を指し、「実」は充実した状態を指す。これまでにも述べられてきたように、実を以て虚を討つことが基本であるが、ここではその手法について詳しく語られています。
本章は、『攻撃』と『守備』の本質を的確に記した章であり、勝つべくして勝つための基本的な考え方がここに示されている。攻撃して必ず勝つ者は、『敵が十分に守っていない場所』を攻めているだけであり、守備をして必ず守り抜く者は、『敵が集中して攻撃してこない場所』を守っているだけというのである。攻撃に優れた者と守備に優れた者の特徴を上げており、そういった用兵の究極的な境地として『無形・無音(形がなくて音もない)』としている。
また、 敵軍を自分の思うままにコントロールするにはどうすれば良いのかを考えており、現代の行動主義心理学における『オペラント条件づけ(道具的条件づけ)』が無意識的に応用されている点には驚きである。
読み下し文 | 現代語訳 |
孫子曰く、およそ先に戦地に処りて敵を待つ者は佚し、後れて戦地に処りて戦いに趨く者は労す。ゆえに善く戦う者は、人を致して人に致されず。よく敵人をしてみずから至らしむるは、これを利すればなり。よく敵人をして至るを得ざらしむるは、これを害すればなり。ゆえに敵佚すればよくこれを労し、飽けばよくこれを饑えしめ、安ければよくこれを動かす。 | 孫子はいう。先に戦場にて敵を待つ軍隊は楽であるが、後から戦場について戦闘にはせるける軍隊は骨がおれる。これが実と虚である。戦いに巧みな人は、自分が主導権を握って相手を思いのままにして思い通りにさせることがない。敵軍を誘い出すには敵の利益を示し、敵軍がこないようにするには害なることを示す。だから安楽を疲労させたり、飢えさせたりできる。つまり実の敵を虚にするのである。 |
その必ず趨く所に出で、その意わざる所に趨き、千里を行いて労れざるは、無人の地を行けばなり。攻めて必ず取るは、その守らざる所を攻むればなり。守りて必ず固きは、その攻めざる所を守ればなり。ゆえに善く攻むる者には、敵、その守る所を知らず。善く守る者には、敵、その攻むる所を知らず。微なるかな微なるかな、無形に至る。神なるかな神なるかな、無声に至る。ゆえによく敵の司命をなす。
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敵が必ずはせつけて来るようなところに出撃し、敵の想いもよらないところに急進し、遠い道のりを行軍し疲れないのは敵がいない土地を行軍するからである。攻撃したからには必ず奪取するというのは敵の守備していないところを攻撃するからである。守ったからには必ず賢固ないのは敵が攻撃しないところを守るからである。守りの巧みな人は、敵はどこを攻めればよいかわからない。 |
進みて禦ぐべからざるは、その虚を衝けばなり。退きて追うべからざるは、速かにして及ぶべからざればなり。ゆえにわれ戦わんと欲すれば、敵、塁を高くし溝を深くすといえども、われと戦わざるを得ざるは、その必ず救う所を攻むればなり。われ戦いを欲せざれば、地を画してこれを守るも、敵、われと戦うを得ざるは、その之く所に乖けばなり。
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進撃した場合に敵の方でそれを止めることができないのは、敵のスキをついたからである。後退した場合に敵がそれを追うことができないのは素早くて追いつけないからである。こちらから攻撃する時は敵が守っていなところを攻撃する。これが出来るのは敵にこちらのことを悟らせないときである。 |
ゆえに人を形せしめてわれに形なければ、すなわちわれは専まりて敵は分かる。われは専まりて一となり、敵は分かれて十とならば、これ十をもってその一を攻むるなり。すなわちわれは衆くして敵は寡し。よく衆をもって寡を撃たば、すなわちわれのともに戦うところの者は約なり。われのともに戦うところの地は知るべからず。知るべからざれば、すなわち敵の備うるところの者多し。敵の備うるところの者多ければ、すなわちわれのともに戦うところの者は寡し。ゆえに前に備うればすなわち後寡く、後に備うればすなわち前寡く、左に備うればすなわち右寡く、右に備うればすなわち左寡く、備えざるところなければすなわち寡からざるところなし。寡きは人に備うるものなり。衆き者は人をしておのれに備えしむるものなり。ゆえに戦いの地を知り、戦いの日を知れば、すなわち千里にして会戦すべし。戦いの地を知らず、戦いの日を知らざれば、すなわち左は右を救うことあたわず、右は左を救うことあたわず、前は後を救うことあたわず、後は前を救うことあたわず。しかるをいわんや遠きは数十里、近きは数里なるをや。われをもってこれを度るに、越人の兵は多しといえども、またなんぞ勝敗に益せんや。ゆえに曰く、勝はなすべきなり。敵は衆しといえども、闘うことなからしむべし。
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敵にははっきりした態勢をとらせて(虚)、こちの態勢を隠した無形(実)というのであれば、味方は集中でき、敵は分散する。敵が分散したら大勢で小勢を撃つことが出来る。
だから勝利を思いのままにえられることができる。敵はたとえ大勢でも虚実をはたらきでそれを分散させて味方に有利な立場を作る。 |
ゆえにこれを策りて得失の計を知り、これを作して動静の理を知り、これを形して死生の地を知り、これに角れて有余不足のところを知る。
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そこで戦いの前に敵の虚実を知るため敵情を目算してみて利害損得の見積をしり、敵軍をうごかせてみてその行動の基準を知り、敵軍のはっきりした態勢を把握し、実際に小競り合いをしてみて優勢なところ、手薄なところをする。 |
ゆえに兵を形すの極は、無形に至る。無形なれば、すなわち深間も窺うことあたわず、智者も謀ることあたわず。形に因りて勝を錯くも、衆は知ることあたわず。人みなわが勝つゆえんの形を知るも、わが勝を制するゆえんの形を知ることなし。ゆえにその戦い勝つや復さずして、形に無窮に応ず。
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軍形の極意は無形である。無形であればスパイでもかぎつけることができず、智謀がすぐれたものも考え慮ることができない。あいての形が読み取れると、勝利がえられるのであるが、一般の人はその形をしることができない。 |
それ兵の形は水に象る。水の形は高きを避けて下きに趨く。兵の形は実を避けて虚を撃つ。水は地に因りて流れを制し、兵は敵に因りて勝ちを制す。ゆえに兵に常勢なく、水に常形なし。よく敵に因りて変化して勝を取る者、これを神と謂う。ゆえに五行に常勝なく、四時に常位なく、日に短長あり、月に死生あり。
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軍の形は水の形のようなものである。軍の形も敵の備えをした実のところをさけて隙のある虚を攻撃する。
水と同様に軍も決まった勢はなく、決まった形もない。敵情のまましたがって変化して勝利を勝ち取ることははかりしれない神妙であうる。四季や天候など常に変化している。 |
〇第一 始計篇
(戦う前に心得ておくべきこと、準備しておくべきこと)
〇第二 作戦篇
(戦争準備計画についての心得)
〇第三 謀攻篇
(武力ではなく「はかりごと」の重要性)
〇第四 軍形篇
(攻撃・守備、それぞれの態勢のこと)
〇第五 兵勢篇
(戦う前に整えるべき態勢)
〇第六 虚実篇
(「虚」とはすきのある状態、「実」は充実した状態の制御方法)
〇第七 軍争篇
(戦場において、軍をどうやって動かす方法)
〇第八 九変篇
(戦場で取るべき九つの変化について説明)
〇第九 行軍篇
(戦場における行軍の考え方)
〇第十 地形篇
(戦う時の事項を地形と軍隊の状況の二つに分け六つの状況を解説)
〇第十一 九地篇
(地形篇に続き、戦場となる地形と兵の使い方)
〇第十二 火攻篇
(火攻めを中心に解説)
〇第十三 用間篇
(敵の情報を入手するには間諜の用い方)
著者: 孫氏
『孫子』(そんし)は、紀元前500年ごろの中国春秋時代の軍事思想家孫武の作とされる兵法書。武経七書の一つ。古今東西の兵法書のうち最も著名なものの一つである。紀元前5世紀中頃から紀元前4世紀中頃あたりに成立したと推定されている。
『孫子』以前は、戦争の勝敗は天運に左右されるという考え方が強かった。孫武は戦争の記録を分析・研究し、勝敗は運ではなく人為によることを知り、勝利を得るための指針を理論化して、本書で後世に残そうとした。
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